伊達家の湯守役としての歴史を見る事ができる資料館


 旅館の入り口からロビーに入り右手にあるのが、主屋ギャラリー。
 写真中央の黒い柱の部分になります。

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 伊達家と佐勘展
 -その歴史とつながり- と題して、展示してありました。

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 中に入ると囲炉裏があり、この火は400年の時を超え燃え続けているとか

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 主屋の飾りと、仙台だるま。

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 資料室は、写真のとおり

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 展示物の一部、写真左は「焼失家屋再建用として御払残御林払下願書 元文3年 1738年」の文書。元文2年に佐勘が火災に見舞われた後、通常火元には材木を払い下げない所を、過去の勤功から例外的に許可されたということでした。
 写真右は、簪のようですが説明書は有りませんでした。

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写真下は、展示してあった佐藤家の歴史ジオラマの紹介です。

「山守・川守」佐勘
 仙台藩の山林原野は原則として藩の直轄で、これを「御林」と称した。佐藤家は四ヶ所の御林の内「田沢御林」の御山守を代々勤めていた。又、延宝二年(1674年)藩主が人来田簗場へ川漁に出馬した時、命により簗を設けたのを最初に、「伊達藩御簗御用」を勤め、鮎・鮭獲りを請け負った。

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「湯守」佐勘
 仙台領内には十七ヶ所の温泉があったが、その中でも名取の御湯は兵庫の有馬、愛媛の道後とともに日本三古湯と称されてきた。佐藤家は古くから秋保温泉の「湯守」を勤めていた。「湯守」とは一般に源泉を管理し、そこへ宿を設けて湯治人の便宜を図り、また湯治人から徴収した入湯料を「湯銭」として藩に上納するものであった。城下に最も近いこの温泉は身分の別を問わず広く利用されていた。ジオラマは安政四年(1857年)の写生図をもとに、当時の姿を再現している。

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「聖火」炉の火
 今尚、燃え続けている「囲炉裏の火」は、約400年前の文禄二年(1592年)祖先が、主屋の建物が火難にあうのを恐れ、紀州高野山より囲炉裏にうつしたものです。「貧女の一灯」と称する聖火を火縄にうつし、紀州路、東海路、そして奥州路を48日間に渡り、苦労を重ねた末に持ち帰り、無火災を祈願し、「絶えざるの火」として祀っております。

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 以下は、佐藤勘三郎の歴史説明の紹介です。

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  2011.05.11 掲載 伝承千年の宿 佐勘 : おかみの紅茶

場所 宮城県仙台市太白区秋保町湯元字薬師28
電話 022-398-2231

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